Christmas Pizzicato : 12/24
いよいよ俺は焦ってきた。
『あれ』を無くした日以来ハルヒからの電話が一切ないことからハルヒは相当怒っているだろうと安易に想像出来る。だからこそ余計に焦るものだ。そして、焦れば焦るほど周りが見えなくなって見つかるものも見つからない。
昨日の夜中、古泉が寝静まったのを確認してからまたあの庭を探すという暴挙に出てみたが見つからなかったのは言うまでもない。昼間より格段に見えづらいというのに悪足掻きもいいところだ。
『あれ』の捜索を手伝ってくれている古泉は昨日から時々表情に微量な変化があってそれは、なにか言いたくても言えない、といった雰囲気を醸し出している。それは今朝も続いて、朝食と昼食の最中もその合間に捜索している時も俺たちの間に微妙な空気が流れていた。それでも、それは気にかけるほどきになるものではない程度だ。
しかし、一昨日まではスマイル安売りって感じだった奴がこうも変化するのは正直不気味だ。なにか悪いもんでも食ったか、ショックなことでもあったか危惧しちまう。一昨日から料理は俺が作っているので、悪いものを食ったという線はないだろう。
午後は念の為にと木にも登ることになったが、こいつはこんなんで大丈夫だろうか。俺一人でやると言ったが、奴は「いいえ、大丈夫ですから」と強引についてきた。そんな奴に溜め息を吐きつつ古泉の部屋の延長線上にある木に目星を付けて俺と古泉はその木を見上げた。
「結構大きいですね」
「そうだな」
「登れても半分くらいまででしょうか」
木登りなんていつぶりだったか。そんなのもう覚えていない。
「あなただけで本当に大丈夫ですか」
「仕方ねえだろ。俺が落としたのがそもそもの始まりだし」
もう時間はあまり残されていない。昨夜の暴挙といい、ぎりぎりのラインに立たされたら出来る範囲の無茶をするしかない。そう決心して俺は木に手と足をかけた。
何年ぶりかなんていちいち覚えていない久しぶりの木登りは中々思うようにいかなかった。ガキの頃はそれなりにすいすいといったものだが時の流れとは早いものだ。何度か足を滑らせそうになって冷や汗をかきながらやっと半ばまで来たところで見回してみた。
「ありましたか?」
「あー……ないな」
手に届くところにある枝を揺すってみても見える範囲にそれらしきものはないし、ベルの音もしない。下の古泉を見ても落ちているわけでもない。ということはないのか。もっと上の方にあるのかもしれないが、これ以上は木の枝が細くて登れないな。仕方ない、下りるか。
「……おわっ」
慎重に下りていたつもりが足をかけた枝が思ったよりも細かったようで、ばきっと嫌な音を立てて折れた。予測外の事象に上の枝を掴む手に力が入らず、俺は折れた枝と仲良く重力に従って落ちる。
聞き覚えのある、だが聞いたことのない切羽詰まった声が俺の名前を叫ぶのをどこか遠くに聞きながらスローモーションのように視界も落下していく。人間は危機的状況に陥ると、物事をスローモーションのように見えるというのは確かなんだな。
咄嗟に目をつぶり、なんかあったかいもんにぶつかったと思って咄嗟に掴んだのは質の良い生地だった。少し厚めだ。
二度目の衝撃を感じたあと、もうなにも起きないだろうかとそっと瞼を押し上げれば視界のほとんどはクリームに近い白で、呻き声が聞こえた方へ顔を上げると古泉と目線が合った。
「っ……大丈夫ですか」
なにが起こったのか、のろのろ各停をする思考が現状を把握していない。古泉越しに見えるのは芝生とアパートの壁の一部。自分の手がいまだに掴んでいるものを見れば、それは古泉の白いトレンチコートだった。
ああ、古泉が俺の下敷きになっているのか。
「って! あっ……す、すまんっ、大丈夫か?」
急いで立ち上がるも足が縺れ、ぎこちない動きになる。
「はい。咄嗟に受け身を取れたので強くぶつけたところもありませんし」
痛みはないとばかりに流れるような動作ですっと立ち上がった古泉は服に付いた芝生を払い、俺の一部にも付いていた芝生も払った。木から落ちて、あまつさえ下にいた奴に助けられるなんて子供でもあまりしないものだ。なにしてるんだ、俺は。
「隣の木も見ます? でしたら今度は僕が見てきましょう」
自分の体力に情けない気分になってる俺を余所に、古泉は隣の木に登り始めた。何度も足を滑らせそうになった俺とは違ってすいすいと登っていく。トレンチコートなんて木登りに向かない格好をしているくせに器用な奴だ。
古泉のズボンと靴しか見えなくなったところで木が揺れる音が聞こえ、遠くて小さめな声が上から聞こえた。
「こちらにもないようですね」
そう言って長い足が順繰りに枝を踏みながら登りと同じくテンポ良く下りてきて、整った顔が現れた。そして、最後の一本の枝に足をかけて飛び降りてきた。その表情は変わりない。
おや、とふっと笑った古泉の手が伸びてきて俺の髪に触れた。
「葉っぱがついてますよ」
古泉の俺よりも大きい手には青い葉っぱがあった。それは手を離れて芝生の上へ落ちた。
「さて、他の木はどうしますか」
隣にもなかったということは他の木にもないかもしれん。無茶をしてでも、なんて思ってはいるが、一度落下を経験してしまうと二の足を踏んでしまうのがそれなりの年齢に達した者が抱く感想だ。
「僕なら構いません。そちらの木に登ってみましょう」
「おい、でも……」
「いいですから」
そう笑顔で言われると、断れなくなるのはなんでだろう。
ん? また微妙に表情が違う。何か言いたい、みたいな。
何度もそんな顔すんなら、言いたいことをさっさと言えばいいのにさ。それを訊こうと思えば訊けるのだが、まだ知り合って数日、そんなことまで訊いていいかも解らん。
そうこう考えているうちに古泉はすたこらさっさと登り、枝を揺すった。
「ベルの音、しませんね。どうやらここにもないみたいです」
下はどうです、と訊かれてもさっきと同じでなにもない。
葉のがさがさと擦れる音を立てながら古泉が地上に舞い戻った。
「あとはこちらの三本ですね」
「すまんな」
「いいえ。あなたがまた落ちて、今度は怪我をされてはびっくりですから。さっきは本当に肝が冷えましたよ」
悪かったな、木登りが下手で。
くくっと笑い、古泉は残り三本の木もすいすいと登った。
まあ結果は解るだろう。そうさ、見つからなかったさ。時々落ちてくる青い葉っぱを勘違いして必死に掴んでみても、それはただの葉っぱであって俺の無くした『あれ』とは全くの別物。その度に俺は落胆した。
「……絶対ここだと思ったんだけどな」
そろそろ、ここに来て初日に抱いた確信に自信がなくなってくる。このアパートの敷地外も探した方がいいのだろうか。
「気晴らしに買い物に行きましょう。今日の夕飯はあなたが作らなくとも、僕が作ります。だから、ね」
そういう柔軟な部分を持つべきなのかね、俺も。
気晴らし兼範囲を広げた捜索を古泉と繰り広げながらここ数日お馴染みになっているスーパーへ辿り着いた。
肉はなるべく新鮮なものを食べた方が良いと言われているので、その日に食べる量しか買わないようにしている。数日肉料理続きなら久しぶりの魚料理もいいのだが、一人暮らしのアパートで魚なんて料理したら部屋が一週間も臭くなって堪らない。居候させてもらっている部屋を臭くするなんて申し訳ないから俺はなるべく肉料理を選んできた。
今日は古泉が料理をすると言っているので任せるつもりだったのだが、その張本人が度々考え込んで俺が話しかけても気付かなかったり、気付いても「あー」としか言わないものだから、食材は俺が選んだ。つい癖のような感じもあって肉を選んでしまった。頑張って料理しろ、古泉。って、俺がわざと籠に入れた納豆にさえ気付かないほど気がそぞろか。仕方ないから納豆は俺が戻したがな。
買い物袋を手にしながら、本当にどうしようか、と俺は内心かなり焦っていた。このまま見つからなかったら帰れない。もしくは一か八かクリスマスタウンに入れないのを覚悟で行くしかないのか。
見つかって帰れても、見つからずに帰れずこうしたままになってもハルヒにどやされるのは変わらないだろうからな。
帰りの道すがらアパート周辺も不審者にならない程度に探したが見つからなかった。
これは本当にやばくなってきた。『あれ』がなくても行くしかないかもしれない。
しかし、まだ明るいうちはソリに乗れない。人間に空を飛んでるトナカイとソリを見られるわけにはいかないからな。だいたい十時近くにならないと駄目だ。
今夜は古泉が料理を作ると言う。ならそれにあやかるのが得策かもしれん。
部屋に戻り(ここもすっかり馴染んできてしまった)、危なっかしい手つきで野菜を切り始めた古泉をひやひやしながら見ても、包丁と切りかけの野菜を奪い俺が代わりにすることはしなかった。あの大きな背中が「僕がやります、必ず完成させます」と語っているような気がして、手を出すなんて出来なかったからだ。危なっかしくても任せるしかない。
そんな古泉の料理作りを気にしつつも、俺は出来る範囲での捜索は続けた。見つからないと解っていながらも探すなんて、これは諦めの悪い悪足掻きになるんだろうかね。莫迦と言いたきゃ、言うがいいさ。
俺が捜索を止めて、やはり駄目もとでクリスマスタウンに帰ろうかと決めた頃に出来上がった古泉の料理はまあまあだった。半年以上料理をしてなかった割にはいい方だ。
「ありがとうございます。あなたが作るのを見ていたからでしょうかね」
手本になるような立派なものは作ってないがな。
「そうだ、古泉。『あれ』は見つからなかったが、一応クリスマスタウンに帰ってみようと思う」
少しばかり腹を満たしてから、俺は決意したことを古泉に告げた。
「今夜、ですか」
「ああ」
「……そうですか」
俺から目を逸らし、古泉は自分の持つ茶碗を見つめた。
またあの表情だ。言いたいけどどうしよう、のあの表情。いい加減に言えばいいものを。俺は今夜いなくなるんだぞ。
昼間俺の髪に触れた手が一度ぎゅっと箸を掴んで、茶碗と一緒に置くと、古泉の少し色素の薄い目が俺を見た。
「お話したいことがあります。あなたが行く時間に」
よろしいですか、という言葉に俺は自然と頷いた。古泉がやっと話そうという表情になったからだ。通常見せるスマイルは消え失せた真剣な表情。話そうと決意したその表情に俺は頷くしか答えがなかった。
ここを出る一時間ほど前に風呂にも入らせてもらって、赤い服を着る。この大切な時期にこんなにこの服を着なかったのは初めてだ。こんな経験をしたサンタクロースなんて俺くらいなもんだろう。間抜けの代表になりそうな勢いだ。
着替えが終わったのを見て、古泉は俺の前に来た。こうやって向かい合うと、改めてこいつとの身長差を思い知らされる。今日は不測の事態に、古泉は見かけによらず体格がいいことも解った。
「数日、世話になったな」
「いいえ、僕の方が世話になってばかりでした。料理を作って頂いたり」
「今日の夕飯はお前が作ったじゃねえか」
「あなたにはまだまだ及びませんよ」
古泉は真剣な目をしつつ、笑いを顔に出す。最後くらいは笑ってバイバイってか。
「それより、お前の話ってのは……」
「はい。少し目をつぶって頂いてよろしいですか?」
なんなんだ、と思いながらも古泉は見つめてくるものだから、妙に気恥ずかしくなって俺は瞼を閉じた。
目の前にいた気配が離れて、木が擦れ合う音がする。ぱたんと閉じた音がするとまた気配が近付いた。カランとベルの音が聞こえたのは気のせいか。
「どうぞ、目を開けて下さい」
明るくなった視界の先には、思った通り古泉がいた。そして、その前に差し出されている手の中には俺の、サンタクロースの大事なもの、柊とベルのオーナメントがあった。
いつの間に見つけたんだ。そうなら早く言ってくれればいいものを。
「……違います、違う……すみません、ごめんなさい……」
そこから先の古泉の言葉は小さく震えていた。
実はあなたが来た日にベランダで見つけたんです。最初これは階上の方のものかと思っていて、僕が持っていました。昨日あなたがこれの特徴を言った時にこれがあなたの大事なものだと気付き、でも言えなかった。
そこまで一気に、でも泣きそうな声で古泉は捲し立てた。
本来なら俺は腹を立てているだろう。通常の俺だったら怒鳴っていたかもしれない。でも、それが出来なかった。どうしてだ。
古泉は更に続けた。
自分でもなんであなたに言わなかったんだろうと後悔して、何度も言おうとしました。でも、何故か出来ませんでした。僕自身どうしてこんな行動に出たか理解出来なかった。それからたくさん考えたんです、その理由を。ふとしたところでとある理由に辿り着きました。
「あなたに側にいて欲しかったから」
それだけだったんです。あなたの料理は美味しい。あなたがいるのが嬉しい。ただそれだけだった。あなたの迷惑になると解っていながらも僕は自分の欲を優先してしまいました。
「……すみません」
古泉は俺の手にオーナメントを置いて、手を離した。俺はそれを木から落ちた時と同じようにスローモーションのように見ていた。
「行って下さい。今からだと大変でしょうが、サンタクロースは子供たちにプレゼントと夢を運ぶんですよね」
「だから、行って下さい。子供たちの為に」そう言った古泉の表情はどこか歪だった。泣きそうなのに笑みを浮かべるという器用に見えてその実不器用な表情。しかしそれは一瞬だけだった。
俺がなにか言う前に背を押されベランダに出された。冷え込む夜の空気に背筋が震える。
「頑張って下さい、サンタクロースさん」
もうここまで来たら行くしかない。やっとオーナメントも手の中に戻った。覚悟を決めて俺はトナカイを呼んだ。真っ暗だからそうそう人間には解らないだろう。
「あなたと過ごした数日、楽しかったです」
なにか言葉を返そうとしたところでトナカイが震え俺を促す。もう時間がない、ということだ。
ベランダから身を乗り出し、ソリに乗る。数日ぶりの感触だが馴染みを覚えるのは数年もサンタクロースをしているからだろうな。
「ありがとうございました。またお会い出来るか解りませんが、機会がありましたら」
フェンス越しに古泉の手が俺の頬に触れた。少し冷たい。俺からも手を伸ばそうとしたらトナカイがいきなり動き出した。
「メリークリスマス」
流れるようにやわらかな声が、その言葉と俺の名前を紡いだ。咄嗟に振り返った先にはこちらを見上げている影しか見えない。表情は暗くて解らない。
「……古泉」
やわらかな声だけが耳に残る。耳の側を吹き抜ける音も夜の空気の冷たさに耳が痛むのも忘れて、あの声だけが蘇ってくる。ありがとうございました、メリークリスマス、と。俺のあだ名じゃない本当の名前も。
だんだん小さくなるベランダを見ながら俺は後悔していた。たった一言二言「俺も楽しかった」、「ありがとう」と伝えられなくて悔いている。後に悔いるから後悔というのに、何度も悔やんでいる俺は馬鹿なのだろう。胸がぎしぎしと音を立てて、ずきずきと痛くて、その痛みが広がっていく。止まらない。
いつの間にか頬を伝った冷たい雫を拭うことも出来ず、俺はクリスマスタウンへ戻った。
遠くで、でも近くで二つのベルの音が重なった。