Christmas Pizzicato : 12/23
昨夜の彼の料理は美味しかった。ニンジン、ピーマンが苦手だというちょっと恥ずかしい自分の好き嫌いを彼は解っていたから味付けを工夫してくれて、僕でもなんなく食べられた。もしかしたらピーマン、ニンジン、タマネギも食べられるようになるかも、なんてちょっと自信も持ち始めている。
一連のことで彼は僕を子供っぽいと思っているだろう。昨日夕飯にニンジンを入れるか訊いた僕に「味付けで苦くないようにしてやる」とちょっと笑いながら言った彼の表情を見ていれば明らかだ。 年齢はそんなに変わらない筈なのに、情けない。彼と一緒に時間を過ごすようになって僕は少し子供になった気分だ。
そんなことを思いながらも、朝昼兼用になった彼の料理に舌鼓を打っている(うっかり目覚ましをセットし忘れて二人揃ってお昼近くに起きたからだ)。朝ご飯とは少しかけ離れた時間になったが、ごはん、おかず、みそ汁の三種が揃っている食事はいつぶりかなんて思い出せないほどここ半年の朝は菓子パン、出来合いのものしか食べていない。ひどい時なんかは栄養補給食品だけ、休日は夜だけ食べるということもあった。彼にこのことを告げたらまた何かしら言われそうだ。
「ただの目玉焼きとベーコンだけじゃねえか。そんな誰でも作れるものだ」
お礼と共に美味しかったと伝えると、彼は呆れながら言葉を返しながらも少し嬉しそうにしていた。そんな気がした。
作ってもらったのだから、と僕が食器の片付けを申し出て、彼には少し休憩してもらった。これから彼の大切なものを探すためにも体力を温存しておくことも大事だ。
草刈り機を用いない手での草刈りは意外にも筋肉を使い、体力を消耗するもの。庭での捜索はしゃがんで行うから、草刈りと同等の体力を使う。だったら今のうちに体力を温存しておくのは得策だろう。
洗い終わった食器を布巾で拭いて食器棚に戻したところで彼が立ち上がった。
「早速行きますか」
「ああ、とっとと探さないとな」
僕が食器を洗っている間に着替えていた彼に使っていないジャケットを貸し、自分は通学時に着ているコートを着た。この時期のお昼の時間帯は朝晩より暖かいといっても防寒着は手放せないくらい寒い。
しっかり寒さ対策をして、アパートの管理人さんに許可を得ていた庭での捜索を開始した。
僕の住む四階建てアパートのベランダ側にある庭には程よい長さに刈られた芝生が生え、隣の民家との境目には木が植えられている。プライバシー保護の為だ、と温厚そうな管理人の老夫婦は言っていたと聞く。
まず初めに僕の部屋の真下にあたる周辺を二人で探した。
しかし、それらしいものは一切なかった。芝生以外にあったものは、どこかから風で飛ばされたと思しき小さなゴミや枯れ葉だけ。まだ青い落ち葉もありそれかとも思ったが、何も変哲のないものだった。
そういえば、と僕はふと訊いていなかったことがあると思い出して、少し離れた場所で同じ体勢をしている彼に尋ねた。
「『あれ』というのはどういうものなんですか。クリスマス関連のものだろうとは思っていたんですが」
彼は顔を上げて、言ってなかったっけ、と続けた。
「ベルの飾りみたいなものなんだ。このくらいの大きさの」
彼の手が円を描き、大きさを示す。ちょうど彼の掌に収まる程度の大きさだ。
「他に特徴は?」
「ベルは二つで、ああ、柊が三枚付いてる」
ベルと柊。クリスマスによくあるモチーフだ。どこの店、特にケーキやクリスマス関連のものを扱う店の扉にリースと共についているあれに近いものか。
見つけたら言ってくれよ、と彼は顔をまた下に向けた。手が忙しなく草を掻き分けている。彼の動きを視界の端に入れながら、妙な既視感を覚えた。
彼のいう『あれ』に似たものをつい最近見た気がする。どこでだろう。色々思い返してみた。
昨日は午前中に学校で、帰りは彼と昼食をあの喫茶店で食べ買い物をして帰った。夕飯を作ってもらい、その後もベランダをもう一度探したがなかったと彼は言っていた。
一昨日は彼と初めて会った日で(正確な日付では二十二日だったが感覚的に)、帰ってくるな言われた彼を招き入れ一時的に一緒に住むことになった。その後、ベランダを見たが。
「あ……」
唐突に思い出した。
そうだ、彼の無くした『あれ』と似たようなのをその日に見つけた。上の階のものかと思ったが彼のものなのか。
「……柊とベルのなんですよね」
「そうだが、それがどうかしたか。もしかして見つかったのか?」
「あ、いえ……」
咄嗟に否定に近い言葉が口から出た。まだあれが彼の『あれ』だという確信はない。もっと確証に近付く為の証拠を集めなければ。
「ベルは何色ですか?」
「金色。だいぶ持ち歩いてるから古ぼけた感じになっちまったけど」
一致した。僕が一昨日見つけて、机の引き出しに仕舞ったあれは彼のだ。彼が何度もベランダを探しても見つからなかった『あれ』。何度探しても見つからないわけだ。それが僕の机の引き出しにずっと入っているのだから。
早く彼に言わなければ。
しかし、どうしてか胸が痛む。何故かぎしぎしと音を立てている。
「あの……」
彼が顔を上げた。その表情には少し期待の色が混じっている。その期待の色を広げるには僕が持っていることを言えば。
「……あっちの方、探してみますね」
僕の言葉に期待の色をなくして少し落胆した彼は「俺は反対の方探してみる」と言ってこちらに背中を向けた。
違う、その言葉じゃない。何をしているんだ、僕は。言え、言うんだ。彼の為にも、彼というサンタクロースの運ぶプレゼントを待っている子供たちの為にも。
しかし、言おうと口を開けば胸がぎしぎしと軋み、言葉が出ない。発声しようと力を込めても声帯が壊れたかのように音を紡がずひゅっと空気が抜けるだけ。喉に何かが詰まって苦しい。
自分も彼に背を向けて少し離れたところを探す為に膝を地につけても、手は軽く芝生を掠めるだけで集中出来ない。
机の中にある『あれ』は彼のものだ、と思っては頭の片隅で悪い僕がそれを否定する。彼のものではない、違う。しかし彼の為を考えるとまた片隅から、早く渡さないと大変なことになる、と叫ぶ声が聞こえる。どちらが僕なのか解らなくなってきそうだ。本当はどちらも僕なのだろうが、今の自分では判断出来そうにない。思考がごちゃごちゃだ。
軽く振り向けば彼の忙しなく動く背中が見えた。その彼の姿を見ても胸がぎしと軋み、僕を更に混乱させる。
渡したいのに渡せない。渡そうと口が動くだけでも胸が軋んで痛む。僕はどうしたんだ。こんなの今まで感じたことない。
「……そろそろ夕飯に必要な食材、買ってきましょう。何が欲しいですか?」
「あ、俺も行く」
「いえ、僕だけで行ってきますよ。欲しいものさえ言って下されば解りますから」
「じゃあ……豚肉とネギを頼む」
彼の言葉を受けて、僕はそこから逃げた。
僕を見上げた彼の目にはちゃんと強い光が点っていた。見つける、必ず見つけて帰る、と僕に語っているように見えた。僕はそれからも逃げた。胸の痛みから逃れたくて、それが彼の姿を見ているだけで再発すると知ったから逃げ出した。
僕はちゃんといつも通り笑っていたに違いない。期待を滲ませたり落胆の色を濃くしたり感情をそれなりに表に出す彼と反対に、僕は故意的なポーカーフェイスを顔に貼り付けた。内心を悟られないように、嘘を見抜かれないように。だから、僕は今もいつも通りの笑顔を貼り付けて、彼を見た。なんて欺瞞だ。
一度部屋に戻って財布を持って行こうと思ったが、僕の足は違うところに向かっていた。僕の机だ。一番上の引き出しを開ければ、彼が語ったあの姿形のままの『あれ』が入っている。やはりこれは彼のものだ。それを軽く持ち上げると、カランカランと小さな音が響いた。何度か揺すっても同じ音を立てて、静かな室内をその音が満たす。カランカランと。
よく見ると、古ぼけた金色をしたベルはところどころに小さな傷があって、それなりの年月が経っていることを物語っている。それでも柊は昨日採ってきたばかりかのように青く硬い。サンタクロースには不思議な力があるのか。トナカイとソリを見えないようにするくらいだから、魔法みたいなものがあるのだろう。
そんな脈絡もないことを考えながらしばらくそれを揺らした。
カランカランと小さな音を聞きながらそろそろ買い物に行かないとまずいだろうと思い、またそれを引き出しに仕舞って僕は部屋を出た。
帰ったら言えるだろうか。実は見つけていました、と。言えたらいい、なんて弱気になりながら昨日彼と一緒に行ったスーパーへ向かった。
意識的になのか無意識になのか自分で解らないくらいだいぶ時間をかけて店内を見回って必要なものを買って出た。たった二つの食材を買うだけで何をしている。
アパートまでの道のりも時間をかけて歩き、それでも駅からそれなりに近いアパートはすぐ近くまで迫っていた。じょじょに彼のいる僕の居住スペースに足を踏み入れそうなことに心音を早めながら、部屋には行かず庭に向かった。彼はもう部屋に戻っているか、まだ探しているか。
果たして、彼はまだ庭にいた。
「もうじき暮れます。冷えてしまいますから、そろそろ部屋に戻りましょう」
「……そうだな」
僕の持つスーパーの袋を見て彼はよしと気合いを入れて立ち上がった。
「今日は昨日買った総菜のタレを使おうと思ってんだ」
「楽しみです」
「オフクロの味、ってわけじゃねえけどな」
部屋に向かう彼の足取りは重くはなく、『あれ』が見つからないことが重要じゃないのかもしれないと錯覚しそうになる。だが、重要なのはもう僕は理解している。なにせもう明日がクリスマスイヴだからだ。サンタクロースはクリスマスイヴからクリスマスにかけての夜にプレゼントを運ばなくてはならない。
言おう、渡そう。部屋に戻ったら。
普通に振る舞っている彼を見ていると、また胸が軋んだ。
しかし、また僕は言い出せなかった。
彼にばかり任せていては悪いと野菜を切っていたら、頭の中を巡り続ける優柔不断な思考に注意力が欠落していたようで自分の指の皮膚を切ってしまい、キッチンは一時騒然とした。一昨日僕に見つかった時と同じくらい慌てた彼によって傷口を洗われ、クローゼットの中にあった籠から見つけた出した絆創膏を貼られた。
「なにぼーっとしてんだ。刃物持つ時は気をつけろよ」
「すみません」
「浅い傷だからすぐ治るだろうからよかったものの」
呆れと苦笑を一緒くたにした表情で言って彼は料理を再開した。僕も手伝うと言ったが、
「怪我をしてんだから大人しくしてろ」
と怪我を理由に断られた。当たり前といえば当たり前か。結局彼に任せることになった。
ちょっとした料理は出来ると思ったが、彼には敵わない。僕が切りかけにしていたニンジンをさくさくと切り、他の野菜も手際よく切っていく。二つあるコンロの片方で野菜と肉を炒め、もう一つのコンロで昼にも食べたみそ汁の残りを煮ている。料理は手際よくやっていかないと時間がかかるし、同時進行が出来るような者でないと炒めもの、みそ汁の両方を一気には出来ない。僕が彼と同じ方法でやったら肉を固くなるほど炒めてしまいそうだ。
十分ほどで出来上がった料理は、変わらず美味しかった。みそ汁は同じものだったがネギを入れるだけで味が変わる。料理は研究と似ている、とどこかで聞いたが、一つの薬品を入れるだけで色や化学反応が変わるのと確かに同じだと思った。そのことを、料理を作った本人に言ったら彼は少し笑った。
「お前、面白いこと言うんだな」
「そうですかね。でも、本当にそうだなと思いまして」
「まあな。こっちの言葉で、錬金術は台所で生まれた、っていうのもあるくらいだし」
こうして何気ないことを話すことで、彼はこちらの世界(と便宜上言っておく)のことを色々知っていることも解った。彼の父親もサンタクロースというのもあってそれを聞いた彼は僕の知らないことをたくさん知っていて、それらを知るのは楽しかった。知りたいという僕の欲求を彼は満たしてくれる。
そんな彼の仕事について気になったことがあったから夕食後コーヒーで一息吐いている時に聞いてみた。
「サンタクロースはプレゼントを運ぶ以外にすることはあるんですか?」
「ああ、夢を運ぶ」
マグカップから口を離して彼は頷いた。
「夢? レム睡眠時に見る夢のことですか」
「ちょっと違うな。子供はサンタクロースからのプレゼントを待っているだろ。それが子供たちのクリスマスの夢なのさ。その夢を叶えるのがサンタクロースの仕事だ」
彼の答えを聞いて、更にその仕事をやりがいにしていると語る表情に、僕はまた後ろめたい気分になった。
その夢を運ぶために彼は早く『あれ』を手にしなければならない。
渡そう、渡さないと。でも、身体が動かない。
「……明日も、探しましょう」
口にしたのは、心にもない言葉だった。
胸を抉るような軋む痛みから逃げて現実から目を背けるなんて、いつこんなに臆病になったのだろう。元から臆病だったのか。色々な思考が邪魔をして正常な働きを鈍らせていく。
ベッドで眠る彼がソファーの背もたれで見えないのをいいことに、瞼を下ろして微かに家具の輪郭が見える程度の視界を遮った。真っ暗な世界は、僕の心のようだ。
こうして僕は束の間現実から逃げた。
自分の側をなにかが掠めたような気がしたが、まどろみとの狭間にいた僕には正常に認識出来なかった。