Christmas Pizzicato : 12/22
どうしてこんなことになっているのだろうか。
俺は外見的年齢で自分とそう変わらない野郎(名前は古泉一樹と昨晩聞いた)と晩と朝を共にした。いや朝は現在進行形で共にしている、だな。
「すみません。菓子パンと紅茶になってしまいますが」
「いや、構わん」
受け取った菓子パンの袋を開け、熱いコーヒーを啜る。ブラックだがまあ仕方ない。住まわせてもらっている身で文句は言えない。
会話もそれに出す話題も思い付かず、テレビから一方的に流れ出る情報を耳にしながら菓子パンを貪り、時々コーヒーを啜る。昨日まで赤の他人だった奴と一緒に朝飯を食うというちょっとした気まずさからどうしようと思って何を話題にしようか頭を悩ませていると、目の前にいる奴が思い付いたとばかりに俺へ質問を投げかけた。
「サンタクロースの住む町にもテレビなどこの世界でいう電化製品はあるんですか? 携帯もお持ちですし」
やはり誰もが不思議に思うんだな。
人間の持つサンタクロース像と言ったら、クリスマスタウンというところに住んでいて、古典的な街なんだそうだ。あとは、この世界でいうよくサンタクロースのいるヨーロッパの国が挙げられる。以前ハルヒから聞いた。
「普通にある。ニュースで報道される内容は異なるがな。冷蔵庫もあるし、掃除機、洗濯機もあったな。携帯もちゃんと使えるから電波塔もあるぞ」
こっちとそう変わらんさ。ほら、お前の携帯とほとんど変わらないだろ。
脇に畳んでおいた服(今着ている寝間着は古泉から借りたものだ)のポケットから携帯を出し、目の前に置いた。古泉はそれを持ち上げまじまじと見つめている。そんなに珍しいものでもないだろうに。
「中を見ても?」
「ああ。ただ、むやみにボタン押さないでくれよ」
「はい」
待ち受けは確かうちの愛猫シャミセンだ。問題なかろう。とあるところのボタンを押されるとちょっと大変なことになるが、たぶん大丈夫だ。とあるところのボタン、というのはサンタクロースにとって重要なボタン、ということだ。何があるかは言わないでおこう。押すと本当に大変なんだ。特にこっちの世界にいる時は。
「この猫は?」
しげしげと携帯を眺めていた古泉は、携帯を裏返して愛猫の待ち受けを俺に向けた。相変わらず眠そうな顔をしてやがるぜ、シャミセン。
「俺んちの猫だ。名前はシャミセン」
「シャミセン氏ですか。三毛猫とは……珍しい」
「しかも雄だぞ」
へえ雄ですか、と古泉はまた携帯を裏返し待ち受けを凝視する。三毛猫の雄っていうのが珍しいのは解るがそこまで見なくてもと若干呆れていると、古泉ははたと室内の時計を見て、すみませんと謝罪を口にして慌てて残り数口になっていた菓子パンを若干無理矢理口に押し込み、更にコーヒーを一気飲みしてブレザーを着込んだ。そういや昨日学生だって言っていたな。
「すみません。僕は学校に行かなければならないので、昼間はどうぞ大切な『あれ』を探して下さい。もしお腹が空きましたら、このお金で近くのコンビニやスーパーで何か買って下さいね。服も適当に着て下さって大丈夫です。今日は終業式なのでお昼過ぎには帰れると思います」
鞄を引っ掴んで、鍵は玄関にあります、ではいってきます、と古泉は出て行った。俺がいるからか鍵も掛けずにだ。不用心な。
部屋主がいなくなった部屋はさっきから絶え間なく世間の情報を告げる音しか聞こえず、やけに静かだ。なんだか居心地が悪くなって俺は慌てて出て行った古泉と同様に菓子パンを大きく頬張り、残り半分のコーヒーを飲み干した。菓子パンで甘くなった口内が一気に反対方向へ向かう。かなり苦い。明日からは砂糖くらい用意して貰おうかね。
「……って明日もここにいる気か、俺」
この部屋の主に甘えてしまっている思考に鞭打つように、勢いよく立ち上がって『あれ』の捜索を始めようと決意した。早く見つけられれば、あそこに帰って忙しいクリスマスの準備を始められる。そう意気込んで寒いベランダに出た。
が。
「……見つからん」
ちょっとした観賞植物があるベランダの隅から隅まで探した筈なのにない。確かにここに落としたと認識している。
自分の服にくくり付けていた『あれ』が外れ、落ちるところまでこの目で見ていた。このことを言ったら反射的に手を伸ばせとハルヒ辺りに怒られそうだが、俺だって出来るものならそうしたさ。しかし間に合わなかったのだ。あー、と思っている間に落ちてしまったんだから。物が落ちる速度は等しい重力があるならばどこも共通なのだろう。
だからここに落ちているという確信はある。あるが、見つからない。もちろんすみずみまで探したさ。植木をどかしてまで探しまくった。そりゃ何度も。しかし、何巡しても見つからなかったのが事実だ。
はあと盛大な溜め息を零して冷たいコンクリートに座り込んだ。布越しに冬の冷たさが伝わる。落としたお前が悪い、と冷たく罵られているような気分だ。
意気消沈しているところで腹が盛大に鳴った。今朝摂取した栄養を捜索に費やしてしまったからだろう。中々見つけられないのは糖分が足りないせいか。
空腹のままここにいるのも余計に糖分や栄養を消費しそうだったので、冷たいコンクリートとおさらばして暖かい室内に戻った。やっぱりこの季節は暖かいところでまったりしているに限る。しかし、そうも言っていられない。腹が減ってはなんとやら、腹を満たさなければ何も出来ないと言われているほどだ。
暖かい部屋を通り抜けて、外よりは幾分寒さが和らいでいる廊下兼キッチンにある冷蔵庫を開けた。
「……」
俺は中を見て唖然とした。まさに言葉が出ないというのはこのことだろう。誰もがこの中身を知ったら俺が唖然としたのも頷けるに違いない。
そう、冷蔵庫はほぼ空っぽだった。野菜、果物、牛乳などといった人として食事に必要なものが一切ない。あるといえば栄養ドリンク(あいつはまだ高校生なのになんつーもんに頼ってるんだ)、ウイダーインなんちゃらの栄養補給食品、ペットボトルの飲み物だけ。試しに冷凍庫も開けてみたが、案の定氷とほんの少しの冷凍食品しかなかった。
古泉が何か買えるようにと金を置いていった理由が解った。しかし、あいつはどういう生活をしているんだ。
男の一人暮らしで毎日ちゃんと料理しろというのは酷だろうが、これはないだろう。この様子だとほぼ栄養補給食品か外食、弁当で済ましているのは目を見るよりも明らか。
毎日とは言わないが週に二、三回くらい料理をしてちゃんと食べた方がいい。これはオフクロから何度も聞かされている言葉だ。蛇足になるが、サンタクロースというものは必要な時期だけ実家を出て寮みたいなところで過ごす。その寮は一部屋ずつキッチンがあり、自分で料理をしなければならない。それを知っているオフクロが俺に言い聞かせてきたのが先の言葉である。
ピーピーという突然の警告音が俺の思考を絶ち、俺は時間切れかと冷蔵庫のドアを閉めた。
さて、どうしようか。
金はあるから何かしら買えるだろう。しかし、どうにも手を出しにくい。朝食を貰っておいてなんだが、居候させてもらっている身で弁当というものに使うのが申し訳ないからだ。食材を買いに行って作るのもいいかもしれないとも思ったがたぶんあの金額じゃ足りない。あの冷蔵庫や調味料棚(こちらも拝見させてもらった)の中身を見る限り、必要なものが足りなさすぎる。
なんだか妙に色々説教したい気分になって、俺は勢いに任せ古泉の服を借り(寝間着もだが少し大きいのが忌々しい)、あいつが置いていった金をポケットにねじ込んで部屋を飛び出した。行き先はあいつの通う北高だ。
衝動のまま古泉の部屋を飛び出した俺は一時間後くらいに北高に到着した。この土地を夜に空でしか巡ったことがない俺がどうやって北高に行ったか、古泉が出てくるまで説明しようか。
古泉の住むアパートを出て、ちょうど買い物袋を下げて歩いていた奥様に声をかけて行き方を訊いた。少々怪訝な顔をされたが、弟が忘れ物を……久々にこっちに戻ってきたもので、と苦し紛れな言い訳を並べたらあっさりとかつ丁寧に教えてくれた。
北高までの道のりで重要な点は、古泉の住むアパートがあるところからは電車で行った方が楽なこと、その最寄りの駅から坂を歩かなくてはならないことだろう。電車賃は手中にある金額で足りるが、坂道というのがなんとも言えん。それを実際に目にし、登るとなるとまた見解が変わってくる。登りながらあいつはどこぞの山のハイキングコースと見紛うほどの坂を毎日登り下りしているのかと同情混じりに考えた。ご苦労なことだ。
校舎から聞こえる騒々しい音でそろそろ終わりだろうと少し離れたところで見ていると、古泉が今朝着ていた制服と同じものを着た学生がぞろぞろと出てきた。セーラー服の女子も半々くらいの人数いるようだ。
ふとその人波から見覚えのある顔を見つけた。古泉だ。周りよりちょっと頭が飛び出ている。こう見ると意外にでかい。こちらが声をかけるよりも早く古泉は俺の姿を見つけてぎょっとしたようで、ちょっと慌てたように駆け寄ってきた。
よし、冷蔵庫の件を言うぞ。
「お前、冷蔵庫の中……」
「こんなところで何してるんですか。僕の部屋からはそれなりに遠いのに。しかもこんなに寒いのに薄着で」
冷蔵庫の中身について言及しようとしたが、古泉の言葉に遮られてしまった。服について弁解するなら、一応あったかそうなのを選んだがな。
それに続くように「ベランダで『あれ』を探している筈では」とか「どうやって来たんですか」とか矢継ぎ早に質問責めされた。おい、俺の話も聞け。
「……ひとまず駅まで行きましょう」
周りのギャラリーに凝視されているのに気付いたのか古泉は俺の手を取り足早に坂を下り始めた。 俺は引かれるまま、ああ、あったかいな、と呑気なことを考えていた。俺の手はだいぶ冷え切っていた。
古泉の足の速さに時々縺れながらついて行き、道が平坦になったところで近くの喫茶店に入った。 店内の暖かさにほっとしながら席に着くとすぐメニューを手渡され、無言で選べと言われた気がする。無言で言われると言い返しづらいなと思いながら、冬らしいメニューが並ぶ中から値段もそれほど高くなく、けれどそれなりに腹に溜まりそうなミートソーススパゲッティを俺は選んだ。古泉も見るのかと渡そうとすると、傍を通ったウェイターに「ミートソーススパゲッティとコーヒーを二つ」と注文した。お前は他に選ばなくていいのかと訊くと「何度か来ているので他のメニューはそれなりに食べています」と返された。やっぱり外食が多いんだな。
「またどうしてここまで来たんです」
そうだ、俺はここまで来た肝心な理由をまだ言っていない。
「冷蔵庫の中身を見てな。なんだ、あれは。食料品というものが一切ない。何か作ろうと思ったが、お前の置いていった金額じゃ材料が揃わん。……しかし、あれでどうやって生活してるんだ、お前は」
「それなりに生活していると思うんですが……」
どこがだ。朝は菓子パン、昼は解らんが夜はレトルトやインスタント、最悪の場合栄養補給食品。これのどこがまともな生活だ。
俺はそこから如何に料理することが大事か、野菜の重要性、栄養のバランスを説いてやった。俺の料理も厳密な栄養バランスについて言及されてしまうとぐうの音も出ないが、古泉よりはまだマシだろう。料理に関する説教に近いものの間にした質問への回答で、それなりに料理は出来る、といってもちょっと味付けするだけのものだけだが、あまり料理をする気にもなれずここ数ヶ月ご飯もまともに炊いていないと言う。
それらを説明し終わったと同時に料理が運ばれ、そこで説教じみたものは一旦区切られた。
「古泉、帰りにスーパー寄ってくぞ」
フォークとスプーンを器用に使って上品に食べる古泉に向かって俺は提案した。解らないといった表情をする奴に向かって更に続ける。
「今日の夕飯は俺が作る。男でも出来る料理ってのをたたき込んでやる」
一応住まわせてもらっているお礼も兼ねて。これは言わなかったが。
そこそこなスピードでスパゲッティをたいらげ、程よい暖かさになったコーヒーで喉を潤してから、早々に喫茶店を出た。俺はここの金を持ってないから古泉の支払いになってしまった。夕飯がこれも兼ねたお礼だと思っておくことにしよう。
行きと同じく電車に揺られ、駅から出るとすぐ側にスーパーがあった。古泉はたまにここを利用しているらしい。
買い物籠を古泉に持たせ、俺は必要な材料を片っ端から入れていく。野菜、肉、調味料などなど。男二人で数日持つくらいの量があれば充分だろう。ついでに古泉が手にしたそろそろ無くなりかけている日用品も籠に収まった。
途中俺が問答無用で籠に入れたとある野菜をこっそり戻そうとした古泉の行動を俺は見逃さなかった。もう少しで元あったところに収まるというところでその腕を引っ掴んでまたその野菜を籠に戻す。「あ……」なんて残念そうな、失敗したみたいな声を出してもだめなもんはだめだ。ニンジンはいい野菜なんだ。特に緑黄色野菜は野菜の中でも重要な位置にある。
この行動から古泉は意外に好き嫌いが多いことが解った。さっきのニンジン然り、ピーマン、タマネギ、納豆。タマネギは生だと辛いが、ちゃんと茹でたり炒めたりすれば甘くなる。ピーマンもニンジンも味付けを工夫すれば苦みはそれほど感じない。納豆は仕方ないかもしれない。これはある種特殊な食べ物だからな。
一通りスーパーの中を見回って、買い物は終了した。日用品も相俟って二袋に別れてしまったのでそれぞれ一つずつ持つことになった。
「結構買いましたね」
「そうだな。今夜は野菜炒めでいいか」
「……ニンジンも入りますか?」
当たり前だ。なんのために買ったんだ。
「ですよね……」
本当に子供みたいな奴だと思う。外見は年相応とはちょっとかけ離れているが、好き嫌いが多いなんてまるで子供だ。
「味付けで苦くないようにしてやるから我慢しろって」
本当はこんなことをしてる場合じゃないのだが、古泉の子供っぽいところを見てちょっと甘えさせるようなことを言ってしまったんだと思う。これだからハルヒに「あんたは甘い!」と何度も言われちまうんだな。この状況を見たらあいつはまた同じ台詞を呆れた顔をして言うんだろう。やれやれ。
夕飯を食べたらまた探そう。暗いだろうけどまた探せば見つかるかもしれない。
しかし、やはり予想通り、俺お手製の夕飯を食べてからもう一度探したが見つからなかった。カーテンを全開にして部屋の明かりを頼りに探したがない。本当にどこにいっちまったんだ。
「もしかしたらベランダではなく下の庭に落ちているかもしれませんね」
明日一緒に探しましょう、という古泉の言葉にちょっと救われた。
「夕飯を作ってくれたお礼です。美味しい料理を食べたのは久しぶりですよ」
彼女の手料理を褒めるかのような口ぶりだ。そんな立派なものじゃなかったけどな。
「また僕にも作れそうな料理を教えて下さい」
出来る範囲でな。
その日の夜はふかふかのベッドに寝かせてもらった。夕飯のお礼と古泉は言うが、俺はおつりが出るほどお礼をされた気がする。食料代は古泉持ちだし、明日の捜索の手伝いもベッドもお礼じゃ俺がもらいすぎちまう。だが、お前がベッドで寝ろなんて俺が言い返しても、あいつは頑として譲らなかった。しかも早々にソファーを簡易ベッドに仕上げて「ここが僕の寝る場所です」とばかりに潜り込んでしまった。俺は仕方なく、ベッドに横になった(本当に仕方なくだ)。
しかし、やわらかなベッドはあまりにも心地よくて俺はおやすみ三秒よろしくすぐに夢の中へ旅立った。