その存在が自分の親であるとなんとなく認識するのは小学校中学年くらい。僕もそうだった。そのくらいの年にはサンタクロースという存在を信じることはなく、だが両親がその役目をしていることを知っても何も言わないでいた。同年代の殆どの友人もそうだった。そう思い込んでいた。
では、ガラス越しに僕を見る存在はなんなのだろう。僕が小さい頃存在を否定した者と同じ格好をした人物が目の前にいる。
サンタクロースのトレードマークの赤い服と帽子。しかし、世界共通で認識されているおじいさんではなく、若い。僕と同じくらいと言ってもいいくらいの若さだ。上の階の人が落ちてきたのかと一瞬考えたが、そこの住民は幼い子供がいる家庭だとすぐに思い出して、かつこの格好をこんなところでする筈がない、とその仮定は無くなった。
では、誰なのだろう。
僕に見つかって固まっている彼の背後にあるそれで僕の疑問は即座に回答を導き出し、確信を固めた。
彼は本当にサンタクロースなのだと。
Christmas Pizzicato : 12/21
時間は夜中の一時近く。今日は出歩いていたから遅い帰宅だった。そんな日に不思議な存在に巡り会うとは今朝の僕は思わなかっただろう。
「すまない……信じてもられないかもしれんが、俺はサンタクロースだ」
僕の予想通りの固有名詞を口にした彼は暖かい室内で机越しに正座をして申し訳なさそうに眉を下げていた。
窓越しにしばらく固まっていた彼が金縛りから解かれたように急に慌てだした姿を見たせいか僕は思わず招き入れてしまった。顔見知りではない、かつ怪しい者を室内に招くなど母が聞いたら卒倒ものだろうが、進退窮まった彼の様子を見ていたらどうしても招き入れないわけにはいかなかった。おそらく彼の背後にあったものの存在が大きいだろう。
「実はクリスマスに向けて下見に来たんだが、大事なものを落とした。たぶんここのベランダに落ちたと思ったんだが見つからん」
「こんなに暗くては探しづらいですよ。それはそんなに大切なものなんですか?」
「ああ。あれがないと帰れない」
彼の言う『あれ』がサンタクロースの証であること、躊躇いながらもそれがないと住んでいるところへ入れないことをしょげた彼はぽつりぽつり語る。これはサンタクロース以外に知られてはいけないことなのではないか。
「お前には色々見られちまったからな。普通の人間がクリスマスに連想するサンタにつきもののトナカイとソリを見ただろ。それが浮いてるところも」
彼の言う通り僕は現実では存在し得ないそれを視界に納めた。僕の視線に気付いた彼が再び慌ててそれらを消したものの(どうやって消したかは解らない)、僕の脳はそれを記憶している。しっかり見てしまえば、彼イコールサンタクロースと連想するしかなかった。僕の頭の中でそんな思考が巡った。
「まあ、お前くらいの年の奴にはプレゼントをこっそり置くことはないからいいがな」
「そうですね。小さな子供に見つかったら大変でしたよ」
そう返すと僕の言葉を想像したのか彼の表情が面倒くさそうにげんなりとした。この姿の彼が本当に子供に見つかったら、大騒ぎどころでなくなるのは間違いないだろう。
張り詰めていた肩を解すように彼がほっと溜め息を零したところで電話の着信音が響いた。この部屋にケーブルで繋がれた固定電話はない。唯一の通話手段である僕の携帯は常にバイブ設定だ。ということは着信音の音源は目の前の彼しかいない。
「すまん……」
彼のポケットから出てきたのは僕の持っているものとそう変わらない携帯電話。サンタクロースの住むところにも携帯電話というものがあるのだろうか。そもそも電波という概念もあるのか。
「あー……ハルヒ?」
通話ボタンを押して彼が誰かの名前(おそらく女性の)を呟くと同時に僕にも聞こえるほど大きな声が響いた。
『何やってんのよ、馬鹿キョン!』
少女の高い声だ。あまりにも大きな声にびっくりした彼は携帯を少し離して、また耳に近付けた。彼女は少しばかりトーンを落としたのかもしれないが断片的に少し聞こえる。
「そう怒鳴るな。……あ、いや……あれを、無くしちまって、な」
また大きな声が響いた。彼の言う『あれ』を無くすことは彼女を怒らせるくらい一大事らしい。彼の先ほどまでのしょげ具合からもそれがなんとなく解る。
「だから探してるんだ。位置はなんとなく解るが、暗くて見つけづらい」
どのようにして落としてしまったか、いかに解りづらいところに落としたか電話の相手に必死になって説明していた彼だが、痺れを切らしたらしいその相手にまた怒鳴られた。
『見つけるまで帰ってくんな!』
さっきと同じくらいの音量を響かせて通話が切れた。
呆然と通話が切れた携帯を眺めていた彼は、今度は違った意味で溜め息を零した。
「帰ってくるな、と言われてしまいましたね」
「聞こえたのか?」
「あまりにも大きな声でしたので」
「情けねー……あと数日でクリスマスイヴだってーのに……」
こうして見ていると彼は僕と年相応なのではと思ってしまう。外見だけで比べると僕とそう変わらず、しかし僕とは違った多彩な表情を出す。狐に化かされたように固まったり、焦って慌てていたり、しょんぼりとしていたり。そんなところが面白かったのだと思う。だから、咄嗟に言ってしまったんだ。
「見つかるまでうちにいいですよ」
と。
彼の固まった表情から僕がこんなことを言うとは思わなかったのだろう。当たり前だ、僕さえ深く考える間もなく口を出た言葉のだから。僕自身も驚いている。
「……マジか?」
「え、ええ。学生ですが一人暮らしですし、少し広いこの部屋に一人増えたところで差し支えありません」
初めの言葉でどもってしまい自分の動揺が彼に知られたかと危惧したが、僕の申し出に驚くあまり僕の動揺に気付かなかったらしく不審がられることはなかった。内心ほっとした瞬間少し力が抜けてしまった。
しばし眉を寄せて悩んだあと、彼はおずおずと僕の提案に頷いた。
「すまん、頼む」
いささかぶっきらぼうな言い方で彼は改めて僕の部屋で一時的に住むことを申し出た。
この時の僕はどうかしていたのは確かだ。サンタクロースと名乗るが得体の知れない者を住まわせるなどどうかしていると言われても僕は否定の言葉を持ち合わせていない。また否定しようとは思わない。ただ、彼という不思議なサンタクロースが面白かったのだと思う。そして、子供の頃に否定していた存在が実際目の前にいる現実に好奇心が湧いたからこんな行動に出たのだ。
この日からサンタクロースとの奇妙な二人暮らしが始まった。
彼がお風呂で冷えた身体を温めている間、彼が降り立ったベランダを少し見てみた。一応彼の無くしたものというのを探してみようと思ったのだ。
少しばかり見回してみるとベランダの一角に見慣れないものがあった。この時期にはよく見られる柊とベルで作られたクリスマスのモチーフ。上の階の親子が毎年ベランダにツリーやリースといったクリスマス関連のものを飾ると聞くので、それがここに落ちてきたのだろう。
後日時間がある時に返しに行けばよい、と僕は深く考えもせずそれを机の引き出しに仕舞った。