影の正義の味方の心を、識る
正義の味方というものは誰もがご存じだろう。変身後三分しかそれを保てないものやバッタの能力を持つ改造人間、なんとかレンジャーと名の付くものが有名だ。その正義の味方は敵が現れれば馳せ参じ、傷付きながらもその敵をばったばったと倒していく。それが戦隊もののテンプレ的展開だ。
小さい頃の俺は、例に漏れず日曜朝きっちり起きてそれらを見ていた。五人のなんとかレンジャー、バッタのライダーとしっかり一時間も。休日や学校帰りに公園に寄って戦隊ごっこというのも、まあやった。ガキだったら誰だって(特に男子)特撮的ヒーローに憧れるだろう。俺だってそうだったさ。普通すぎるこの世界より何倍も楽しいだろうって。
サンタクロースの正体や存在には早くから疑っていたくせに、そういう特撮的ヒーローや世界に憧れていたどこにでもいる小学生だった。
しかし特撮的ヒーローが好きだったとはいえ、一つ疑問に思っていたことがあった。
ヒーローというのは疲れないのだろうか。もし現実世界にヒーローがいたとしたら、それはいきなり現れた敵に向かっていき、傷付き戻ってきても誰も賞賛しないというもの。賞賛する者がいるとしたら、味方くらいだろう。ケーブルを介して発信されている戦隊ものというのは、メディアを介して娯楽として放送されているからその疑問は注視されないのだ。
幼い頃にその解答を得られる訳がなくここまで来たが、奴が正体を明かしてからその疑問がまた浮上してきた。
地域的時間的制限があるが超能力を使って世界の崩壊を防いでいるという超能力者、古泉一樹。
団活中に奴の携帯が鳴り、早退することもしばしばあった。それはあの空間の発生を意味するのだろうとなんとなく解っていた俺は、相方がいなくなったオセロを片付けながら、今頃あの灰色一色の音のない世界で頑張ってるんだろうなあ、とぼんやりと考えていた。奴はある意味正義の味方なんだ、とも。
そんなことが暫く続いたが、古泉がある日なんともなかったような顔をしておはようございますと言いながら腕をさり気なく庇っているのを見た瞬間、あれが決定的に俺の脳内に定着した。
お前は疲れないのか、と。
しかし、それは訊けなかった。訊けば奴の何かが崩れそうな予感がし、俺にはそれを崩す勇気なんてなかったからだ。
傷を負いながらもいつもの微笑み君を演じ、何もなかったような顔をする。無理してでもそうする奴の中に踏み込むことなんて出来るか? 俺だったら出来ない。臆病者と言いたきゃ言えばいい。
俺はそうやって疑問を忘れては思い出しを続け、道を迷った小さな子供のようにぐるぐると巡っていた。
静かだった部屋でいきなり古泉の携帯が鳴り響いた。それが鳴る一瞬前に古泉の身体が強ばったというのを付け加えておこう。触れていた背中が揺れたんだからどんなに鈍い奴でも解るだろう。
鳴る携帯を開いた奴の表情に、ああ、またあれかとなんとなく解った。
「……すみません」
立ち上がった古泉はそのまま玄関に向かうと思いきや、俺の腕を掴んで引っ張った。手元にあった本は読んでいたページが解らなくなるくらい他のページに飛んで、床に突っ伏してしまった。しまった、栞を挟むタイミングを逃した。
「おい、なんだ急に」
「ごめんなさい……」
栞を挟めなかったことへの苦情と急な行動への疑問を混ぜて文句を言っても奴は謝るだけで腕を離さず、足も止めない。ついでに説明もない。どうしたってんだ。
ドアの鍵を閉める動作は少し乱暴で、更に俺の腕を強く掴む。引っ張られるままアパートの階段を下りると、近くには黒塗りのタクシーが止まっていた。その運転手は何度か見覚えのあるあのお方だ。俺は軽く頭を下げた。
押し込められる形で乗り込んだタクシーはすぐに発進した。
隣に座る腕を掴む奴は何も言わず、いつもの笑みがなりを潜めている表情で真っ直ぐに前を見ている。いや、睨んでいると言ってもいいくらいだ。そんな奴に話しかけるなんて出来る訳がない。だから俺は腕を振り解く気も無くなって流れる風景を見た。
窓ガラスにぽつぽつと雨粒が当たってきた。それは数を増やして、あっというまに全部を濡らしていく。本格的に雨が降ってきたらしい。
今日のハルヒは何だか調子が悪そうで、団活もそこそこで解散になり早々に帰宅の途についた。調子が悪い上に雨が降ってるとなると、機嫌も急降下するものだ。メールで何か言っておこうかね。
こんなことを考えるようになったのも、隣の奴のせいだ。まあしかし、あのハルヒが、体調が悪くてっていうのもなんか不気味だし、元気になってくれる方がいい。通常の暴走機関車っぷりは溜め息ものだが。
今日あの空間が発生した場所はそう遠い場所ではなかった。なんてったっていつもの不思議探索の待ち合わせ場所だ。初めて閉鎖空間に招き入れられた時のように遠かったり、今日みたいに近かったり、お前が前に言っていた通り発生場所はランダムなんだな。とは心の中に留めておいた。今の古泉に話しかけても無駄だろうと俺は理解していたから。
雨が降っている中駅前で下ろされ、引かれるままにあの灰色空間に入った。
喧噪、人の声、雨音は一切聞こえなくなった。やっぱり暗い。世界から誰もいなくなったような錯覚を起こしかねない。実際にこの空間にはごく一部の人間しかいないだろうが。
前は目を瞑って入ったから何も感じなかったが、目を開けたまま入るってのはあまり気持ちのいいものではなかった。なんかこう軽く弾力のあるものを通過する感じだ。なんとも言えない感触としか言いようがない。
「地表近くでは危ないかもしれないので、あのビルの屋上に」
危ないなら引っ張ってくるな、という言葉も無駄なんだろう。
俺を気遣うくせに強引に引っ張ってきたりして、古泉一樹という奴はどこか両極端だ。放課後の団活時間をゲームで費やしたり、静かな部屋で一緒にいたりと同じ時を過ごす時間が長くなればなるほど、一緒にいる者の性格がなんとなく解ってくるものだ。そうして俺は古泉に両極端なところがあると気が付いたからそれは俺の経験論だ。
件のビルの屋上に着いてやっと、腕を掴んでいた手が離れた。二の腕から下がが少しばかり痺れてやがる。
「少し待ってて下さいね」
古泉が顔を向けた方向に音もなく発光物質のようなものを含んだ青色の巨人がのっそり姿を現した。上げづらそうな片腕を振り上げて、そこらの建物を破壊していく。民家が数軒同時になぎ倒され屋根の瓦が衝撃で浮き上がり、雨のように降り注ぐ。このままじゃ本当に世界が壊されそうだ。
そうさせない為に超能力者がいる、というのは古泉の言だ。それを証明するかの如く、古ぼけた灯油ストーブのように赤く強く発光した古泉は正義の味方よろしく何も言わずに飛んでいった。巨人の周りを旋回する赤い玉の数は古泉を入れて五、六個程度。動きが速すぎるから解らん。
そんな『機関』が≪神人≫と称する巨人と超能力者の赤い玉の戦闘を俺はぼんやり見ていた。
俺が何も出来ないのは自分自身がよく解っている。傲慢ながら手助けしたいと思っても凡人の俺はかえって足手まといになりかねない。だから、ここでこうしているしかないのだ。歯痒くても待っているしかない。それが何もかも平均的な俺の役割。
衛星のように回り続けていた赤い玉が巨人を引き裂いたり貫いたりして、青いあれは段々と崩れてきている。あともう一押しってところで一つの赤い玉が致命傷を負わせると、それはモザイクのように散らばりながら音を立てずにくずおれた。正義の味方は必ず勝つ、という謳い文句がぴったりな終わり方だった。
さらさらと青が散ると同時に赤い玉が散らばり(蜘蛛の子を散らすという表現がぴったりだ)、そのうちの一つがこっちに向かってくる。古泉だ。
速度を落とした赤い玉が俺の傍に降りてくると、それは明るさを落とした。そこから覗いた表情は、正義の味方となって戦いに行く前と何ら変わりのないものだった。
「よお、」
顔を合わせればしゃべらなきゃすまないってくらい饒舌な口が何も言わないのに居心地が悪くなって俺から声をかけた。言葉なんか思い付かなくて呼びかけみたいになったけどな。
ちらと俺を一瞥して、奴はまた無言で俺の腕を引っ張った。またどこかに連れてく気かとうんざりしかけたが、それは俺の予想の範疇を越えた行動によってどっかに飛んでいってしまった。
気付いたら古泉の腕の中にいた。
普通引っ張られたらどっか行くかと思うだろう。ここに連れてこられた時もそうだったから俺の思考はそっちに向いていた。だからこれには驚かざるを得ない。しかし、あまりに突飛なこと過ぎて言葉が出てこないのも事実。
灰色の空が崩れるのが緑色のブレザー越しに見え、背中には何かがきつく巻き付いている。ああそうだ、これは古泉の腕だ。この感触を覚えているのだから否定しようがない。だが、何故こうなってるんだ。
俺の頭は混乱するばかりだった。古泉は何も言わないし、ほんの一センチほど冷静さを取り戻した俺が少しばかり喚いてみても何も返事がない。これじゃどうしようもない。
古泉が何故こんな突拍子もない行動に出たかの答えはすぐに出た。
奴の肩が微かに揺れている。今日の古泉の行動、表情を思い出してなんとなくその理由が解ってしまった。
「……お前ここに来たくなかったんだな、今日」
俺の目の前の肩が震えた。妙なところで正直者だな。
余計に強くなった背中に回る腕に応えて奴の背中をゆっくり撫でると、少しずつ力が弱まってきた。でも腕は離れない。たぶん当分離れないなと感じた。
「……はい。本当は来るのが嫌でした」
あなたと離れたくなくて、という台詞の途中でまた力が強くなった。
「でもそんなことをすればいつも迎えに来て下さっている新川さんに迷惑がかかる。僕個人の感情でそんなことをする訳にはいきません。ですが、どうしてもあなたと離れるのが嫌で無理矢理連れてきてしまいました。申し訳ないです」
古泉の頭が俺の肩にもたれかかるのが解った。重いとは不思議と思わなかった。
「……不思議です。こうしていると少しずつですが不安が無くなっていくんですから。あなたには迷惑でしょうが、連れてきてよかった」
これは甘えているのか?
こいつの甘え方ってよく解らん。そもそも、それ甘えてるのか? という態度が多々あるが故、こいつがいつ甘えてくるか予想がつかない。いつだって突拍子がないが、今日は結構驚いた。
俺はまた自分より広い背中を撫でた。
「お前ってスーパーマンって訳じゃねえよな」
「……はい?」
「常々お前が戦隊ものとかの正義の味方みたいな奴って感じがしてたんだ。でも、今日みたいに嫌になる時があるって聞いて、お前はやっぱり普通の人間なんだなって、安心した」
人間が特撮的ヒーローと決定的に違う点。それは、戦うことが嫌になるってこと。
現実世界の人間と非現実的世界のヒーローを比べるのがあれだが(ものの例えとしてだ)、人間誰しも嫌になることはある。俺だって結構あるぞ。宿題とか授業とか。普通そういうもんだと思う。
しかし、古泉にはそれが見えない。おそらく古泉が意図的に隠しているから見えないんだろうが、だからこそ俺は思ってしまう。お前には嫌なことはないのか、って。
「……嫌なことは嫌って言っていいんだ」
閉鎖空間のように『機関』に関する事柄は無視出来ないだろうが、ちょっとした我が儘くらい言わないと色んなものに押しつぶされてしまう。そういうところが両極端なんだ、お前は。
「そうでしょうか」
「ああ、我が儘の一つでも言ってみやがれってんだ」
難しいのは俺も戸惑うから、ほどほどに頼む。
逡巡しているのか古泉の動きが止まり、一分くらいして肩の重みが無くなった。
「……一緒に帰ってくれませんか?」
そんなことでいいのか、と古泉を見上げようとしたが肩とかろうじて首筋だけしか見えず、肝心の顔が見えない。
「はい。今はそれだけで充分です」
離れた先の顔には、微笑み君が戻っていた。戻っていたと言っていいかは微妙なところだ。なんせ通常営業の胡散臭い微笑み君とは微妙に違うからな。
「ほれ、行くぞ」
動かない奴の手を握り軽く引けばあっさりと動いた。見上げた先の鳩が豆鉄砲を食ったような驚いた表情があまりにも珍しくて、思わず笑ってしまった。
「……あなたには適いませんね」
そりゃこっちの台詞だ。両極端なお前には適わねえよ。後ろにいる奴にそっくりそのまま返したら乾いた笑いが返ってきた。何故だ。
朝日の自然な眩しさにぴったりくっついたままになりそうな瞼を押し上げると、腹に腕が回っていてぎょっとした。が、昨日の出来事を脳が再確認してくれたおかげで大きな声を上げずに済んだ。
それの正体は誰だかすぐ解り、首の後ろをくすぐる寝息ででっかい子供はまだ寝ているというのも解った。抱き付いてるのは昨日の今日でまあよしとしよう(昨日今日の俺は寛大だ)。だが、首がくすぐったい。もう少し離れようと自分から動いてもみたがびくともしない。これはまた強い力でございますな。
動くことは諦め、そっと首だけで振り返ると心地よさそうに眠る顔が見えた。寝てもハンサム顔は変わらないんだから凡人との違いをざまざまと見せつけられてる気分だ。忌々しい。
だが、この寝顔を見ているうちにちっぽけな我が儘を思い出して、ちょっとばかし微笑ましくなってきた。
昨日あの場所を離れてからも古泉はちょこちょこと我が儘を言った。手を繋いだままとか一緒に寝たいとか。そうやって我が儘を言えと言ったのは俺だが、時間が経てば羞恥心が増してくる。昨日の俺はよくあんなことは言えたもんだ。今じゃ到底言えない。
やれやれと溜め息を吐きつつも身動きが取れない状態ですることはない。もう少し寝てもよいのだが、いかんせんこの今の体勢のせいで眠気なんか吹っ飛んだ。古泉、早く起きろ。
「溜め息を吐くと幸せが逃げていきますよ」
「っ、いきなり喋るな!」
不覚にも脈拍は急上昇だ。頻脈に近付くところだったぞ、心臓に悪い。もしかして起きてたのか。
「いいえ、つい先程起きました。あなたが溜め息を吐く寸前にね」
性質が悪い。
おい、起きたならもう腕を外せ。いい加減動きたい。
「嫌です。もう少しこのまま、ね」
何が、ね、だ。気持ち悪い。ひどいですなんて言っても気持ち悪いものは気持ち悪い。
「……今も我が儘を言いたい気分なんですよ」
そうくるか。昨日の今日で俺が我が儘を聞いてやらないこともないというのを知ってだ。確信犯め。
「あ、この言葉を言っていませんでしたね」
微かに笑った古泉は、俺の恨みがましいようなそうでないようなオーラに気付かないまま更に密着して言った。
「おはようございます」
ああ、その言葉か。そういや今日はまだ言っていない。
それは誰もが起きたらいう言葉。
「……おはようさん」
なんかむず痒い、恥ずかしい。でも、それをちょっとばかり越える収穫があった。
古泉が甘えるとちょっと子供っぽくなることと、正義の味方だって疲れる時があるってことだ。
結構いい収穫だと思わないか。俺はそう思う。俺の長年の疑問に答えを得られたんだからな。
Closed...