夕方五時の密室



 長門の本を閉じる音を合図に俺と古泉は途中だったオセロを片付け、鞄と上着を持って廊下へ出た。これから朝比奈さんお着替えタイムだ。
 映画撮影に使わせてもらった商店街にある電器屋のおやじさんからご好意でいただいたストーブのおかげで暖かい部室から出れば、廊下は極寒、とはおおげさだろうか。ジャケットを羽織ればやわらぐのだろうが寒いものは寒い。冬はあまり好きじゃないね。
「そうでしょうか。夏より空気が澄んでいてよいではありませんか」
「俺は思わんな」
 自分とシャミセンの体温で暖まった布団は部屋の空気の冷たさの前ではあらがえない暖かさを持つ。さながらこたつのようだ(こたつのぬくさには負けるがな)。俺はこれを冬最大の誘惑だと思う。
「冬の誘惑……ですか」
「お前は感じないのか、あったかい布団から出なくてはならないつらさを」
「枕元にエアコンのリモコンを置いて、起きたらすぐにつけているのでさほど寒くはないですね」
 古泉は、そのまましかし、と続ける。
「あなたがいる時はエアコンをつけたとしても離れがたいです」
「……は?」
 いきなりなにを言っとるんだ。
「事実なんですからしかたがないではありませんか」
 なにがしかたないかさっぱり解らん。ああ、耳が少し熱くなってきているのは気のせいだ。寒いと手が熱を持ったようになることと同じだと思うといい。だから気にするな。
 二人似たような体勢で窓際に寄り掛かったまま古泉はさらに続ける。
「平日は学校、休日は市内不思議探索もありますから、あなたと一緒にいることが中々ありません。あ、不思議探検は楽しくて好きですよ。しかし、あなたといる時間は限られているから朝が来るたびに離れがたくなってしまうのです」
 素でそういうことは中々言えるもんじゃない。これは妬ましい限りだが古泉だからこそ様になるんじゃなかろうか。やはり美形は違う。
「それにあなたと一緒だと熟睡できるんです。普段はまあそれなりに眠れるのですが、あなたと一緒の時との比ではありません」
 あなたの隣で安心しているんでしょうね、という言葉に俺はそうかい、と返しただけだった。どう返せばいいか解らん。あんな歯が浮くような、こっちが恥ずかしくなってくるなんともいえない言葉の羅列は俺からは出せない。そもそも俺の中にそういう関連の引き出しがないからな。
 俺の返事をどう解釈したか知らんが、俺より冷たくなっている手が急に触れた。
「ちょ、おま、ここ……」
 突然のことに俺の脳がシナプス回路を軽く混乱させてまともな言葉が出ず、さらに指と指の間に少し無骨な指が割り込んできたらもうシナプス回路は大渋滞。あっちこっち脳内物質が行こうとして混乱中だ。
「お隣のコンピ研の方々はもう帰っているようですし、誰も通りませんよ。ある種、密室に近いものでしょう」
 だから涼宮さん達が出てくるまでは、と古泉は手を離さない。指が更に絡まった。
 多少渋滞が緩和された俺の思考は少し回復してきただろうか。しかし、完全回復にはほど遠い。
 絡まる指がほどけない。
 解ってる、解ってるんだ、俺がこの手をほどけないことを。「嫌だったら振りほどいて下さってもかまいません」と言うくせに奴の顔はそうは語らない。少しの変化をにじませた表情がそれを物語る。
 振りほどいて欲しくないならそう言えばいい、と思いつつ俺はなにも言わずに手を握りかえした。充分ほだされてるって自分でも解ってるさ。だから言ってくれるな。
 ぐっとその手を引かれ古泉の顔が近くなる。近すぎだ。息が吹きかかる。
「明日はさいわい不思議探索もありません。この後、」
 囁くような声に、その先の言葉はなんだ、という質問は無粋だろう。俺はもうその先が解っている。古泉も俺の返答がどちらか一方になるだろうと解っているんだろうが、なにを思ってか俺に答えを求める。意地が悪いというのかなんというのか。よく解らん奴だ。
 俺はもう一度意外に大きいその手を握りかえして、言った。
「……その気にさせてみやがれ」
「お待たせー! って古泉くん、顔少し赤いわよ。熱でもある?」
 ハルヒの言葉に隣を向くと、とっさに手をはなした微笑みハンサムが顔を少々赤くしつつぎこちない笑顔を浮かべていた。

「その気になりましたか」
「さあな」
「……もう一押し、というところでしょうか」
「じゃあ、もっと頑張るんだな」
 もうここまできたら俺の答えなんて解ってるくせに。だから俺も駅に着くまで言ってやらんぞ。

Closed...



 暗い道、多少歩き慣れた道。行き先はもう少しで見えてくるアパート。誰もいないここで繋いだ手は離せなかった。

 08.02.18

(お題配布元:h a z y)