ささやかなぬくもり
季節の移り変わりというものは早い。そう実感するのはいつの間にか日が暮れるのが早くなったからか。ほんの一ヶ月前はまだ明るい時間帯だったのに、今はもう夕暮れだ。時というのは本当に早い。
ハイキングコースを下りながらふとじじくさい考えに囚われてしまった。俺はまだ十代だ。
「どうかしましたか?」
じじくさい考えから逃げようと無意識に首を横に振っていたらしく、不思議がったと思しき古泉が声をかけてきた。
「いいや、なんでもねえよ。もう日が暮れるんだなって思っただけだ」
「少し暗くなってきましたからね。この間まで明るかったのに、季節の移り変わりは早いものです」
じじくさいといえど、同じことを考えるやつは多いのかね。
「気温も下がってきましたし、そろそろコートを準備しなければなりませんね」
そうだ、クリーニングに出したジャケットはどこにしまったかな。オフクロに訊かないと解らない。季節の変わり目に行われる衣替えはオフクロと妹担当だ。
コートが必要な時期がひたひたと近付いているんだなと実感していると、俺は更に身を以て冬に片足を突っ込んでいる今の季節を体感することになった。
「あ、すみません」
何も持っていない互いの手が触れた。それは仕方がない。人の腕というのは歩くペースと合わせて自然と動くものだ。だからちょっとした拍子に触れてしまうのも解る。だが、俺が気にしているのはそれではない。
触れた手の温度だ。
古泉の手は氷でも触ってたのかってくらい冷たかった。むしろ氷のようだった。氷という比喩は誇張しすぎかもしれないが、それくらい冷たいということだ。
「あの、どうしました?」
古泉は問いかけながらさり気なく手をスラックスのポケットに入れた。本人は隠したつもりなんだろうがバレバレだ。
「お前……」
「キョン、古泉くん、また明日ね!」
「また明日、部室で」
「……」
気付いたら早朝ハイキングコースの出発地点に着いていたらしく、ハルヒ、朝比奈さん、長門が三者三様の別れの挨拶をして家路へと歩を進めた。俺と古泉もそれぞれの帰路につくべきなのだろうが、今日はそうもいかない。
「では、僕も。また明日部室でお会いしましょう」
そう言って離れようとした古泉のポケットに入っていた冷たい手を引っ張り、逆の方向に俺は足を向けた。逆の方向というのは、古泉のアパートとは逆ということだ。
「あ、あの……」
「ちょっと付き合え」
ああ、冷たい。俺の手まで同じ温度まで下がりそうだ。しかし、この手を離せば奴は今来た道を戻り返ってしまうだろう。そうはさせん。
ちょっと歩いてきたところにあるのは、俺がよく利用している品揃えのいいコンビニ。ちょっとした小山の麓にある女子校と山頂にほぼ近い北高があると知って品揃えがいいのだろうと俺は思っている。確かに便利なんだ。
「そこで待ってろ」
掴んでた手を離して困惑している古泉を残し俺はコンビニに入り、レジ横にある陳列棚に直行する。そこから適当に二つほど見繕ってレジに出してお金を払った。袋は丁重にお断りし、それらを抱えるようにして外へ出た。あまりにも熱くて素手じゃ持てない。袋を貰えばこんな苦労をせずに済むんだろうが、どうせすぐ無くなるものだと思うと貰う気になれなかった。ちょっとしたエコだということにしよう。
またポケットに手を突っ込んで外で待っている古泉に向かって持っているものの一つを投げた。珍しく慌ててそれを受け取った古泉は、手の中を見て解らないといった表情をしている。それと俺を何度も見比べて、余計解らないという顔になった。
「……大した意味はない。ただ、寒そうだと思って、だな」
自分の持っているもののプルタブを開け、それ以上恥ずかしくなって喉に詰まった言葉と一緒に熱い飲み物を煽った。火傷しそうなほど熱いが、苦みと共に身体にしみ渡る。寒い時期にあっついものをこうして飲むのがいいんだよな。しかし、ブラックは少しばかり苦い。
「僕に、ですよね」
じゃなかったらお前に渡してない。
「……僕もコーヒーがいいです」
「文句言うな。ココアの方があったまるぞ」
しぶしぶプルタブを開けた古泉は、ココアを飲んだ。整った顔が甘すぎると物語っていて俺はちょっと面白くなった。
「……やっぱり甘いです」
「そりゃミルクココアだからな」
「コーヒーを下さいよ」
「あ、おい!」
急に目の前に飛び出た手にコーヒー缶を手ごと掴まれ、引っ張られて飲まれてしまった。ああ、俺のコーヒーが。
「おや、珍しいですね。あなたがブラックを飲むとは」
「そういう気分なんだよ」
「ココア、差し上げましょうか?」
いらん。お前は大人しくココアでも飲んどけ。このコーヒーは俺のものだ。
古泉の手から逃れて残りのコーヒーを一気飲みしようとしたが、あまりの苦さに挫折した。これは苦すぎる。
「どうぞ」
あまりの苦さに差し出された缶を思わず引ったくり、二口ほど飲んでからそれがココアだということに気付いた。くそ、やられた。
苦いものの後に甘いものを摂ると余計に甘く感じるというが、本当なんだな。口の中が甘すぎる。今日の俺の口は苦くなったり甘くなったり忙しない。こうなると朝比奈さんの煎れて下さるお茶が恋しくて堪らないというもんだ。
「口直しに僕のところで紅茶でも飲んでいきません? ココアのお礼にでも」
俺が突き返したココアを飲み干した古泉は空き缶をゴミ箱に捨て、俺の手を掴んだ。もう冷たくない。程よい暖かさだ。手が冷たい人は優しいというが、あそこまで冷たいのはどうかと思う。冷え性なのかもしれないが。
「どうでしょうか?」
古泉の誘いにまだ答えずにいると手を握る力が少し強くなる。そうされたら断るにも断れないじゃないか。いや、心の奥底では断るつもりなんて全然ないというのは解ってる。ただ言葉が咄嗟に出てこないだけ、ということにしておく。
「仕方ない。行ってやるよ」
古泉の顔が綻んだ。緩みまくりだ。そんな締まりのない顔をするな。
「すみません。でも、今は直せそうにないです」
ハンサム君が台無しだぞ。
そのまま俺たちは何がおかしいのか解らないまま少し笑った。
「そういえば、さっきのは間接キスになるんですよね」
「……あ」
「ご馳走様です」
満足そうな笑みとその言葉の意味に妙に顔が熱くなったのが悔しくて勢いを付けてパンチを食らわせた筈が、簡単に手で受け止められてしまう。ああ、忌々しい。
だが、こんな学校帰りもいいと俺はちょっと思った。
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