写すは、真の感情か偽りの感情か
誰も来ない階段の踊り場にある、鏡のように彼を写す窓。彼は背を向けているせいで、その表情がどういうものか窓に映る微かな色彩でしか解らない。窓は完全に鏡になるものではないから。しかも、空の蒼が眩しすぎる。だから、空を見上げた時の彼がどこか遠くに行ってしまいそうに思えたその瞬間、ルルーシュを衝動的に引き留めたくなった。その証拠に、中途半端に伸ばされた右手が無様に残ってしまった。
ふと窓に映る紫と目線が合った。その眼は、どうした、と問い掛けているのかもしれない。ずっと紫が僕を見ているから。
「なんでもないよ」
伸ばしかけた右手を咄嗟に引っ込め、何も無かったように取り繕った。しかし、意外と鋭いルルーシュには解っているだろう。微かだけれども眉が寄っている。
「言いたくないならいいが」
無理には訊かない。ルルーシュのそういうところが好きだ。彼自身が特に誰しも踏み入られたくない領域がある事を知っているから、訊かないんだ。僕はそれに便乗した。
(君がどこかに行ってしまいそう、なんて言ったら『馬鹿』の一言で片付けられちゃうだろうし)
でも、何か言いたくて。
「ねえ、ルルーシュ」
考えてもいなかった事を口にした。
「こっち向いて」
彼は素直にこちらを向いた。窓を、さっきまで見ていた空の蒼を背に、僕を見る。その表情は窓の鏡越しではない、本当の顔。そのまま彼に近付き、抱き締めた。離したくなくて。
(今だけ)
ルルーシュの身体が抵抗しようとして震えた。しかし、それはほんの一瞬の事で、すぐに腕の中に収まった。
暫くして落ち着けば、何も言わない彼の手が僕の頭を押し、彼の肩に顔が埋もれた。制服越しに伝わる体温が心地よかった。随分と触れていなかった、ぬくもり。忘れてしまっていた、あたたかさ。ずっと触れたかったんだ。だから、彼を引き留めたくなった。
「スザク」
昔とは違って低くなった声が変わらず僕の名前を紡ぐ。
「どうしたんだ?」
その声に柔らかさを微かに乗せ、優しく問い掛けられる。嗚呼、もっと触れていたくなる、求めてしまう。でも、駄目だ。
「どうもしないけど、ただ……君に触れたかった」
なんだそれ、とルルーシュから苦笑が返ってきた。そう、それでいい。それいいんだ。
僕も何も言わない、彼も何も訊かない。
これが一番心地良い関係なのだから。
「戻ろっか」
ルルーシュを離し、差し出した手に軽く左手が乗る。その細い手を引き、階段を下りた。
「次の授業は何だっけ?」
「数学だな。ちゃんと予習してきたか?」
「……解らなかったんだよね」
「まだ時間がある。教えてやるよ」
「ありがとう」
ほら、いつも通り。
でも、鏡越しじゃなく本当の君を見て、傍に居ると、言いたくなるんだ。自分の中で持て余している名も知らぬ感情を。
それでも、今はまだ隠さないと。鏡越しに君を見て、本当の感情を隠す。
君は、この感情の名前を知ってる?
Closed...