ここのヒトは神に縋り生きる。それの何が面白いのか。己には理解し難い。
 ああ、なんてヒトは愚かな生き物。
 それが、魔の己の考え。


形なき贈り物を、神父様に



 清らかな空気が漂う教会に厳かに響く賛美歌。神が誕生した日を祝って人々は祈り、唄を捧げる。それを扉の外から見ている男はひっそり溜め息を吐いた。
 神とは相対する存在の自分には、それになんの興味もない。魔が神の誕生の日を祝ってどうする。笑いがくつくつと口から零れそうだ。
 ただ、その中心にいるのが唯一と決めた主だからこそこの清らかな空間の入り口に立っているだけのこと。出来ればこのような場所には居たくない、聖なる夜と言われる今日は特に。
「イエス・キリストは……」
 凛と透き通るようなボーイソプラノが神を祝う言葉を乗せて外まで響いてくる。しんしんと静かに降る白い塊と黒インクを零したような闇の静けさの中にまでも。
 ああ、と男は嘆くように嘆息した。
 あれが己だけのものだったらいいのに。あの強い意志が込められる心地よい声が己だけを呼べばいいのに。
 そう願っても手に入らない。いくら己が彼のものと言えど、彼は己のものではない。
 神のもの。元来神父という存在は、神に全てを捧げ一生涯結婚の契りを結ばない。誰とも情を交わすこともしないのだ。
 その神の為の存在を自分は少しばかり奪った。神に捧げられたあの身を。力尽くで契約を結び、情まで交わして。それでも、全ては奪えなかった。
 彼は身体を、純粋なものを奪われても心だけは神に向けたまま。一緒に居住を共にしていても、神に仕えることを辞めない。それがとてもとても歯痒かった。
『私のものになれ』
 どれほどそう言いたかったか。しかし、理性がそれを止めた。
 主の異とすることはしない、己はただの下僕。
 そうして今まで言わないできたのだ。
 だが、それが欲望のように喉から出かかっている。
 原因は最近血を満足に貰ってないからという考えに行き着いた。それだけではないような気もしながら。
「皆様、今宵は祈りを捧げ、穏やかにおやすみなさい」
 至宝の琥珀を瞼に隠して人々への言葉を終えたエドワードは、純銀のキャンドルを手に扉まで歩いてきた。少しばかりしか開いていなかったそれを押し開き、言葉を授けながら人々を見送った。最後の老夫婦が丁寧にお辞儀をして白い地面の上を歩いていくのを見送りながら、エドワードは扉の傍へ言葉を投げかけた。
「いつまでそこにいるつもりだよ」
 その声は人々へ与えた柔らかさなど微塵もなく、強くきつく。
「君の仕事が終わるまで待っていただけだよ。部屋にいても暇なだけだ」
「寒くなかったのか? ってあんたは吸血鬼だったっけな」
 キャンドルを手に暖かな教会に戻るエドワードに続いてロイも清らかな空間へ脚を踏み入れた。一瞬身体が強ばった。
「っ……やはり…」
 魔を拒むように己を蝕むこの空気。入るものではなかった。
「無理すんなよ。今日はあんたにとってきつい日だから」
 エドワードは何事もなくキャンドルを手に戻っていく。当たり前だ、彼はこの空間にいるべき存在なのだから。
 いつもだったらこれ以上進まないのに、今日だけはもっとと切望していた。
 何故。そんなの自分でも判らない。唯一判るのは、衝動から来るということだけ。
「すぐ帰るから待ってろって……っ」
 小さな手がキャンドルを祭壇に置いた瞬間を狙った。衝動に委ねて。
 抵抗を掻き消すように黒衣の上からその身を腕の中へ。一つに纏めた金糸を解き、整った襟元を崩して白い肌を柔らかな光の中で晒す。
「……くれないか? 私にも、」
 魔に属する私にもプレゼントがあるなら。
 鋭い牙が無防備な肌に突き刺さった。瞬間腕の中の身体が震える。
 それは柔らかな肌を突き破り、すぐに血管へ到達する。ほどなくして甘く紅い蜜が溢れ、口内を極上の葡萄酒が如く甘く恍惚感を広げてゆく。
 ああ、とロイは眼を細めた。
 美味い、酔いそうだと欲望が喜びを叫ぶ。それを噛みしめつつ、まともに味わっていなかったその味に衝動が徐々に収まってくるのが判った。
 口を離し、止まることを知らないその蜜が肌を伝ってきたのを舐め上げた。ロイはその時のエドワードの反応がとても好きだった。必ず彼は眉を顰めて、それでも恍惚とした表情でロイを見上げるからだ。魔に為されるままなのが悔しいのか、快楽に支配されたくないのか。しかし、吸血鬼に牙を刺された者がその快楽に抗う術はない。
 嗜虐心が少しばかり支配した。
「っ……、当分…おあずけだっ」
 紅が滲むそこに最後に口吻けを贈り腕の力を少し抜くと、悔しそうにエドワードは吐き捨てた。
「プレゼントを貰えたから構わない」
「何が…プレゼントだ。奪っただけの……」
 言葉を途中に細い身体が揺らぎ、腕の中に落ちてきた。瞼を下ろした顔を覗けば、些か顔色が青白い。しまった、と思っても衝動に負けた自分が悪いとしか言えない。
「ありがとう、エドワード。……おやすみ」
 プレゼントだなんて神を祈る人間じゃあるまいしと思っても、こうとしか言えなかった。
「安らかな休息が君へのプレゼントだ」
 この聖なる夜の為に頑張ってきた彼はここ最近あまり休息を取っていなかった。夜遅くまで準備をしては、次の朝にはまた早く教会へ赴き神へ祈りを捧げ、神がいるその場を清らかに保っていたから。
 血を奪いすぎた事への罪悪感を抱きつつ、思い付きだったが彼へのプレゼントとした。
 黒を纏う男は主を愛おしそうに抱いて、聖堂の奥へと消えた。
Closed...



 神父様へのささやかなプレゼント。